デザインは、見た目を整えるための技術ではなく、社会の複雑さを読み解き、人と人、制度と暮らし、現在と未来をつなぐための「思考と実践のプロセス」である。
DIOは、地域ブランドづくり、産業支援、コミュニティデザイン、人材育成、サーキュラーエコノミー、公共領域での共創など、沖縄が直面する多層的な課題に対し、デザインを社会変革のための共通言語として実装する活動を行ってきた。
本稿では、アリス・ローソーン著「HELLO WORLD ―『デザイン』が私たちに必要な理由」を手がかりに、デザインが本来持つ力と責任を整理しながら、
なぜ今、沖縄でデザインを推進するのか、
そしてDIOが目指す「地域の未来をともにつくるデザイン」とは何かを読み解いていく。
デザインとは「世界を理解し、行動を導く力」
ローソーンは冒頭でこう述べる。
「デザインは私たちの生活のあらゆる面で、力を与えることも奪うこともできる」(P8)
デザインは、私たちの“感じ方・行動・見られ方”に無自覚のまま影響する「偏在する要素」であり、その力を理解しないことこそが最大のリスクになる。
さらに彼女は、デザインの本質的役割を次のように定義する。
「デザインは、私たちが周囲で起こっていることを理解し、それを自分たちのプラスにできるように手助けする『変化の担い手』である」(P10)
つまりデザインとは、“世界をどう理解し、どう変えるか”という人間の営みの中心に位置し、単なる制作行為ではないということだ。
歴史が示す、「デザイン」は常に“未来を構想する技術”
「デザイン」という言葉はラテン語の「designare(デジナーレ)」“計画する/描く/意思を示す”に遡る。
ローソーンはこの言葉が取り得る幅広い意味を示し、「『デザイン』ほど曖昧な意味を持つようになった言葉も珍しい」と言及しながらも、この“曖昧さ”が今、デザイナーが生み出すアウトプットの変化を示しながら、新しい解釈に遷移していることに言及する。
「従来、モノや空間や画像といった有形のものか、ソフトウェアなどの無形のものかにかかわらず、デザインはデザインが生み出したものによって評価されてきた。今では、デザインプロセスそのものが価値を有するとみなされ、「デザイン思考」というかたちでますます戦略的、組織的な問題に活かされるようになってきた」。
秦の始皇帝が貨幣、度量衡、法、文字の統一など国家統治にデザイン戦略を用いた例(P16〜)をはじめ、デザインは古くから「社会システムの設計」と不可分であった。DIOが各プロジェクトで、行政・事業者・地域住民とともに描く“未来像”も「地域ビジョンの設計」として、この延長線上にある。
誤解されてきた「デザイン」―
なぜ過小評価されるのか
ローソーンは次のような指摘をしている。
「デザインは状況によってスタイリング、エンジニアリング、プログラミング、企業戦略と呼ばれることもある。その多様性は強みであると同時に大きな誤解を生む源でもある」(P31)
デザインという言葉が「見た目を整える行為(狭義のデザイン)」に矮小化されてきたのは、16世紀以降、図面や製図という意味に限定されたことが契機だった(P28)。
しかし現代では、デザインは再び「プロセス」および「社会変革の手段」へと拡張している。
デザイン思考の台頭 ―
“作る”から“社会をつくり変える”へ
ローソーンはデザイン思考が広がった背景について、
「デザインプロセスそのものが価値を生む存在として認識され、戦略的・組織的な問題解決に生かされるようになった」(P39)と述べている。
特に印象深いのは、「デザイナー以外の人々がデザインプロセスへ参入したことで、“創意工夫”という人間の本能が社会課題に向けて再び開かれたこと」(P41)である。
この視点は、地域づくりにおいてDIOがデザインプロセスを活用する意義そのものだ。
サステナビリティ・社会課題への挑戦 ―
デザインの責任が拡張している
本書の中盤以降は、デザインの“責任”が大きなテーマとなっていく。
ローソーンは商業デザインへの偏重がもたらした弊害を指摘した上で、サステナブルデザインの本質を次のように述べる。
「デザイナーは、製品が構想された瞬間から処分されるまで、環境への影響が中立ではなく“プラス”となるよう努力すべきである」(P327)
これは、観光・産業・資源が密接に連動し、また、島しょ地域という地理的特性のある沖縄において「循環型経済に資するデザイン(サーキュラーデザイン)」を推進するDIOの姿勢と強く共鳴する。
“残りの90%のためのデザイン”―
社会的弱者にこそ必要なツール
ローソーンはデザインが本来向き合うべき対象を明確に示す。
「世界人口70億人のうち60億人以上は最低限の製品やサービスすら買えない。それにもかかわらず、デザインは長く富裕層のために使われてきた」(P408)
しかし、スタジオH(アメリカ)やパーティシプル(イギリス)の事例(P409〜P414)は、デザインが“弱い立場の人々の生活を根本から改善できる”ことを示す実践例であり、沖縄での地域福祉・コミュニティ形成を考える上で示唆が大きい。
特に高齢者のコミュニティづくりに生かせるポイントとして、下記は非常に重要である。
・小さな障害を取り除くだけで高齢者の行動は大きく変わる(P410)
・参加する高齢者のスキルを可視化(スキルマップ化)し、相互支援のコミュニティをつくる(P411)
・デザインはロゴ制作ではなく、プロセス設計そのものに関与する(P411)
エピローグ ―
デザインは人間の本能であり、未来とともに進化する
ローソーンは、最後に、デザイナーのエミリー・ピロトンの次の言葉を引用している。
「デザインは人間の本能。人は本質的に楽観的で、誰もがデザイナーであり、どんな問題もデザインの問題といえるし、デザインの力によって解決できると思う」(P436)
そして、「デザインは今後も本質的には変わらないだろう」と言及した上で、今後必要とされるデザイン・デザイナーの資質として、「開放性」「共感」「謙虚さ」「コミュニケーション能力」「分野横断性」を挙げる(P439〜442)。
こちらも、DIOが沖縄で推進している「共創」「参加型プロセス」「地域デザイン力」と重なる価値観である。
【知見1】デザインは「世界を理解するためのレンズ」
デザインは複雑な社会・産業・文化を読み解き、人が前に進むための道筋を示してくれる。
【知見2】デザインは「社会をつくり変えるプロセス」
デザインは美しさではなく、問題解決・未来構想・仕組みづくりにこそ本質がある。
【知見3】デザインは「誰もが使える、人間の本能的技術」
行政、事業者、住民、学生、あらゆる人がデザイン思考のもとに参画することで、地域の力が最大化される。
結びに ―
デザインは、複雑な社会課題を行動へとつなぐ技術である
ローソーンが示したデザインの射程は、地域ブランド、コミュニティデザイン、産業支援、サーキュラーエコノミー、公共政策設計など、DIOが沖縄で取り組む多様な活動領域と深く重なっている。
ローソーンが挙げる未来の課題
「天然資源の枯渇、異常気象、デジタルプライバシーの侵害、データの大洪水、社会サービスの破綻、肥大化する埋立地、交通麻痺、空港の混雑、コンピュータ・ウイルス、テクノフォビア(恐怖症)、経済の不均衡、分裂するコミュニティー、絶滅危惧種。
デザイナーはこうした問題とこれから数十年間、格闘することになるだろう」(P438)
これらは沖縄においても、日常の延長線上に現れ始めている。
こうした複雑で正解のない課題に向き合うためには、 問題を「理解できるかたち」に整理し、 関係者の間に共通の視点をつくり、 小さな一歩としての行動へとつなげていくプロセスが不可欠である。
デザインとは、まさにそのための技術だ。
複雑な状況を読み解き、異なる立場や価値観をつなぎ、 人々がかかわり、試し、前に進むための選択肢を描き出す。
DIOがデザインを推進するのは、 沖縄の未来を誰かに委ねるのではなく、 地域にかかわる一人ひとりとともに考え、 ともに手を動かしながら、社会の変化をつくっていくためである。

「HELLO WORLD
『デザイン』が私たちに必要な理由」
著者:アリス・ローソーン/翻訳:石原 薫
(フィルムアート社)
デザインとは何か。良いデザインと悪いデザインの違いとは何か。それぞれが生活に与える影響とは何か。科学の発達が進む中これからのデザインはどのように進化するのか。
本書では、デザインの起源にさかのぼり、著者独自の膨大な事例に基づいたデザイン史を総括しながら、考察を深めていく。